密度と自由と。
雑記放送の時間です。

言葉や色や形や音はそれだけでもかなりの力を秘めていて、人に影響を与えるのだけれど…言葉や音、形と色なんかを組み合わせて密度を高くすればもっと強い力が働くこともある。
ただ形と色がチグハグだったりすると、逆効果にもなるのでそれらをまとめる力が要る。それは単純な「センス」だったりもするけれど、意志をしっかりもった「テーマ」とか「思想」とかなことも多い。
それらは切実であるほど強く引きつける。

だけれどあまりにも強く引きつけすぎると、言葉や音や形や色は自由で軽やかな表現が出来なくなってしまう。自己主張や未知への方向性を失い、小手先の変化しかできない、静的で変えられない世界になる。
これは本意ではないけれど選択すべき点でもある。要素の密度か、それとも変化と自由さか。文章を書いたり作曲したり絵を描いたりするのが好きな創作人にとってのジレンマである。

ところが稀に、そんなジレンマなど軽々と突破して「密度が高く、尚且つ自由に飛び回る」ような作品を作ってしまう人がいる。そういう人のことを「天才」と呼ぶのだと思う。凡人である私がそういう人に出会ってしまうと、とても惹き付けられて、憧れと嫉妬と対抗心となんとも言えない感情が浮かんできて収まらない。いつか、あの天才たちに認められたらなぁ…と。

今日の微妙
「大好きで尊敬する人が自分の嫌いなものを好きだと知った時の気持ち。」

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

日記内を検索