落花生一つでこれだけのことを思うのは考え過ぎだと思います。
雑記放送の時間です。

先日、友達の家に落花生が置いてあるのを見掛けた。
私は豆類が好物なので、食べたいなぁなどと思いながらトイレを借りて戻ってくると、
皮を剥いた落花生が器にあった。友達が剥いておいてくれたらしい。
理由を訊けば、食べたそうにしていたから、とのこと。

どうということもない出来事。
だけど、私には人に対してこういうことはできないかもしれないなぁ…と思う。
そんななので、肉親でもなく利害関係もない相手に、
当たり前のようにこういうことをしてもらうと嬉しいものなんだな、としみじみ思った。

私の周りには、色々と相手の世話を焼くお節介な人が多い。
前に助けられていると思ったのは、こういうところもあるのかもしれない。

そういえば随分と前にお節介についての話をしたことがあった。
内容を端的に言えば、相手のためになっていないお節介は迷惑染みているから気をつけようというものだ。

元々、私は「自分のことは自分でやる」という感覚が強いので、
他人に対しても自分のことは自分でやろうよ、という気持ちが当たり前のようにあった。
だから自分が求めてもいないのに手を出されると困ってしまうこともある。

…のだけれど、
日常的感覚で当たり前のように人に優しくできる人は、
たぶん、とても素敵なのではないだろうか。
それにそういう人は人間関係にそれほどコストをかけなくて済むはずである。

お金や労力、コストをかけた優しさや気遣いもそれはそれで気持ちがいいけれど、
受ける側も気を張ってしまう上に、妙な圧力を相手にかけているようでよろしくない。
だからさりげなく、相手に優しくできる人を密かに尊敬する。

相手のことを本当に気遣えないなら、
なにもしないほうが良いと諦めかけている私はダメだなぁ。

今日の電波
「上着の中身は夢ですか、愛ですか」

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